執念こそ成功への道 - エリアリンク株式会社

林尚道の
「時代を読む」

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VOL.67  2005年 07月号

執念こそ成功への道

今回は、執念について話をしたいと思っています。先日、松井証券の松井道夫社長のお話しを聞く機会があり、非常に感銘を得まして、私の事例に基づいてお話しできれば、皆さんのお役に立つこともあるかと思い、今回のテーマに選ばせていただきました。

松井社長は、松下幸之助さんが話していたことをおっしゃっていました。すなわち、執念のある者は可能性から考える、執念の無いものは困難から考える、こういうお話でした。要するに何かをやりとげるぞという執念をもった方は、なんとしてでもやり切る事を考えています。ところが、やらなきゃという、執念とまではいかない考え方の方は、どうしよう、どうしたらできるんだろうと、そんな言い訳めいた、あるいは評論家になってしまいます。私もこの「時代を読む」を続けさせていただいていますが、私自身取り得があるのは、続けること、継続することぐらいしかないと思っていて、それも執念なのかもしれません。こういうことを続けられなかったら、自分はダメな人間だという思い込み、続ける執念があり、色々な商品を考えたり、様々なところから情報を掴んできて、それを加工し、工夫してきました。その際に、これはこういう形にするぞ、という執念を持ち、やりきってきたものが商品になっています。上場もしかりだと思います。私自身、絶対3年後の誕生日に上場するぞ、ということを決めて、それをやり貫いてきました。

成功したらいいなとか、金持ちになれたらいいな、ということをよく聞きますが、これは執念ではないと思います。ある事をなんとしてでもやるぞという執念を持ち続けた人達だけが成功していると思います。なんとしてでもやり遂げるという執念、それが全て結果につながって、色々な形で成功になっているのだと思います。

ところが、そんなに頑張ってどうなるのとか、そうなったからといって何がいいの、金持ちの何がいいのか、あるいは、成功したからといって何があるのと、俗に言う評論家になっている人達は、ずっと評論家で終わってしまいます。もしも神様というものがいるとしたら、チャレンジをしたり、色々な経験をして、ということは自分自身の人生へのメッセージかもしれません。ところが、多くの評論家は、そんなことをやったからといって何になるんだ、何の意味があるんだと考え、そしてもっとひどい話になると、人が失敗すると喜ぶ、といったレベルにまで落ちていく事があります。

私自身の場合ですが、あきらめが悪いのかなとか、あるいはしつこいのかなという捉え方で自分を見ていたのですが、もしかすると、執念があるのかもしれないと思います。なんとしてでもやるぞと、決めた事は続けます。またその際は、続けられる範囲のことにして、続けます。例えば、走るとすれば、毎日5キロではなく、500mとか、あるいは素振りをするのであれば、1日10回とか、何しろ始めは大それた目標にしないで、続けられるような、トイレ掃除にしても、全部でなく、1ヶ所だけをやるとか、まずはそういうように自分がやり続けられる範囲をきちっと決めて、それを必ずやり遂げるんだという事を必ず自分に課してきたと思います。

考えると、今は色々なアイデアや、様々な商品等、色々なもの、情報に出会うことはいっぱいあると思います。今回のお話をきいて、どんなチャンス、どんな出会いがあろうと、やり遂げようとする執念がなければ、何の意味も無いということを、痛感しました。やり遂げさえすれば、何らかの形でまた、形になってくる。また、やり遂げようというところで、失敗や波乱など、その人に色々なチャンスを与えると思います。結局はどこかで挫折すれば、そこで終わってしまいます。

自分の人生の上で、執念というものがなければ変わっていかないし、執念というものがなければ、結果が出ない、そういうものがないと、負け癖、あきらめ癖がつく、人のせいにする癖がつく、何かのせいにする癖がつく、自分は悪くないという癖がつく、最後は誰からも信用されない、あてにされない人間になってしまうのではないかと思います。この世に必要とされない人間になってしまうかもしれません。あるいはこの世に害になる人間になるかもしれません。

成功だけが全てだとは思いませんが、人は生きていく中で、これをやりたい、こうなりたい、こうあったらいいと、どこかで必ず思っているはずですから、その中のひとつでもいいですから、執念をもってやり遂げるべきだと思います。どんな小さなことでも、やってみたいと思ったら、それを書いたものを毎日みることだと思います。扉でもいい、手でもいい、トイレでもいい、どこかに執念という言葉をつけて、些細なことでもいいから、必ずやり遂げる、そういう癖をつけていくことが、もしかしたら、成功、幸せにつながるのではないかと思います。

そういう意味では、誰もが才能がいっぱいあって、実は恵まれていると思うのですが、その花を咲かせるために水をあげ、栄養をあげる、それが執念というもので、それがないと、そのDNAは、応えてくれないのではないかなと思います。確かに色々と苦労もありますが、そういうことを乗り越えていくと、人の痛みや辛さもわかるし、喜びもひとしおですし、だからまたさらに人の気持ちもわかるようになって、人に対する優しさもでてきます。単に優しくなろうとか、よく思われようとか、りっぱになろうとか、そういうのではなく、そういう積み重ねが、その人にとって必ずいい方に回って、いい結果になっていくような気がします。

この「時代を読む」を読んでいただいている方の中には、営業や事業をやっていらっしゃる方が多いと思います。いまやっている事業での成功も非常に重要なことだと思いますが、人生に成功していただきたいと思っています。ですから、事業に直接関係なくてもいいと思います。何かひとつみつけて、執念をもってやり続ける。成し遂げてみて、成功の体験をしていただければ、それが私の一番の幸せかもしれません。私も普段は、しつこいとか、あきらめが悪いなどという言葉で、半ば照れ隠し的に表現していたかもしれませんが、これからは執念という言葉を心に秘めて色々と続けていきたいと思います。ぜひ皆さんも頑張る、というよりは、自分で決めていただいて、やってみて、そして執念をもってやり遂げていただければと思います。

代表取締役会長 林 尚道

代表取締役社長 林 尚道